広陵高校、近畿大学と、ずっと野球漬けでね。
シモハナ物流との出会いも野球部の監督が道を付けてくれたんですよ。
地元の広島で就職したいと言ったら、紹介してくれて。
10月か、11月だったかな。
ガチガチに緊張して会長室の扉を叩いたのを覚えてますよ。
当時はまだ、新卒の定期採用なんてやってなかった頃で、入社式も僕一人。
午前中の式を終えて昼ご飯を食べていた時、ちょうどテレビで高校野球をやっててね。
母校の広陵高校が出てたんじゃないかな。
で、午後からは、片道切符を手渡されて赴任地の松江へ。
現地の所長、上司に迎えられて、新しい未知の人生のスタートでした。
松江には結局7年半いましたけどね。
知らない土地で、仕事もまったく、何をどこから手を付ければいいのか分からない。
そんな中で、周りの人に育ててもらいました。
先輩、所長、ドライバーさんにも、パートさんにも、ほんとに助けてもらった。
こっちは社会に出たばかりで職場での人づきあいも分からない。
喧嘩もやった。
頼んでも仕事を受けてくれないドライバーさんと大声で怒鳴りあったりね。
その一方で、酒も酌み交わしました。
今じゃ考えられない古き良き時代の話ですけどね。
だけど、年齢も立場も関係なく、言うべきことははっきり言って真正面からぶつかる…
そんな気概や人付き合いは、その頃に学んだことかな。
村田所長(当時)が引っ張ってくれたんですよ。
高槻営業所は一年前に開設したばかりで、関西進出の足掛かりとなる旗艦拠点。
規模も過去最大で、会社としても一大チャレンジです。
それだけに立ち上げの苦闘ぶりは僕の耳にも聞こえてきてて…
内心は「ヤバっ」って気もありましたよ。正直言えばね。
実際、その混乱ぶりは半端なく、8月に赴任してほぼ半年は不眠不休の状態でした。
だけど、その体験は今となっては財産ですよ。
ギリギリの苦境にあって、誰かのせいにしてても始まらない。
自分でなんとかするしかない。
そう悟って、自分で求人会社に電話をして、人を採って、体制を作った。
もちろんトラックを運転しながら、庫内で作業をしながら…合間合間に何とか時間を捻出してね。
そうやって半年がかりで何とか稼働は正常化した。
今では何の混乱もなく、全国でいくつのも拠点が立ち上がっています。
でも、その背景には過去の教訓があるわけで。
それが会社としても、僕個人としても、財産やノウハウになってきたわけで。
僕だけじゃない。
多くの先人の必死の仕事の蓄積がシモハナの強さの源泉にはあるんです。
もちろん、数字とか、営業所の運営とか、そういうことに関わるようにはなりましたけど。
だけど、やっぱり僕はチームプレーなんですよ。
監督になっても、やっぱりみんなでゲームをつくっていきたい。
僕が采配をふるって、人を動かして…というんじゃなくてね。
プレイヤーが主役だし、僕もプレイヤーの一人でありたい。
そりゃリーダーという立場はあるでしょうけど、どんと構えてマネジメントしてるというのは僕のやり方じゃない。
ただいつまでもプレイヤー気取りで現場にいても周りがウザがるということも、
最近分かってはきたので控えるようにはしてますけどね(笑)
やっぱりウチにはいろんな人がいるから面白いし、勉強になりますよ。
それは上下関係なくね。
例えば、新入社員でもすごい子が入ってくる。
話をしてると「賢いな」「すごいな」と思うことが多々あって、
自分が22・23の頃はとてもこんなんじゃなかったな、と思いつつワクワクするわけですよ。
一方で、イメージした仕事と違っていたと悩む人もいて。
だけど、想像と現実が違うのは当たり前なんですよ。
むしろイメージ通りだったら仕事なんて面白くもなんともなくて、
いろんな人や機会と巡りあって、想像以上の世界が広がっていく…それが面白いわけで。
だから自分の想像を超えた人や機会と出会える環境に身を置くほうがいい。
僕にとってシモハナ物流はそういう会社だったんじゃないかな、というのは思います。